燕のモノづくりの歴史を紐解く。磨き屋シンジケートは燕の歴史と共にあります。

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燕のモノづくりの歴史

 燕市は新潟県の新潟市と長岡市に挟まれたところに位置しており、三条市とともに新潟県の県央と呼ばれています。

  和釘の生産が始まったのは寛永年間のこと。江戸時代の和釘生産に端を発します。新潟県の信濃川流域に位置しながら農業よりも工業に力を入れているのは、当時から信濃川の氾濫と洪水により度重なる影響を受けたため、農民の生活が安定しなかったという背景があります。和釘などの和製金属生産を経て、燕は大正から洋食器産地へと業種を転換します。アメリカへの輸出も始まり、燕は経済的に大きく成長します。しかし、 1959 年のアメリカの輸出規制により、燕は大きな打撃を受けます。ところが燕は新たにヨーロッパにも販路を拡大し、危機を乗り切りました。その後、ニクソン・ショックやオイルショック、香港、台湾、韓国などのNIESと呼ばれる新たなライバルの出現など、燕にとって苦しい時期が続きましたが、ここでも燕はめげませんでした。国内需要の開拓や新たな輸出市場の開拓、ハウスウエア部門の発展などでこのピンチを乗り切っていきます。 1985 年のプラザ合意による猛烈な円高においては、輸出枠は大幅な減少を余儀なくされますが、国内需要向けの安定した生産がこの危機に歯止めをかけました。

 現在、燕は新製品、新分野開拓に熱心に取り組んでいます。ステンレスやチタンはもちろん、最近はマグネシウム合金の加工に力を入れているところです。

 「不死鳥」燕はいつの時代でも困難に屈せず、知恵と努力によって新局面をき前進の道を模索しています。




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